最近ちょくちょく本屋さんに行く機会があるのですが、3月に入ってから特にでしょうか、お弁当の本が目に付くようになりました。
多分この時期は新入学・進級で春からお弁当作りを始める方も多いからなのでしょうね。
私も子供たちの新入学でお弁当を作るにあたり、本を購入したりお弁当箱を準備したりしていましたっけ。
でも・・・
なんていうんでしょう、本屋に並んだお弁当の本を見ると、胸がざわざわするというか・・・なんとなく気が重くなるのです。
[adsense]
お弁当の本を見て気が重くなるワケ
今は作り置きが定番化しましたね。
夫婦そろってフルで働く家庭も多くなったからでしょうか、週末に作り置きをして一週間の食事作りを回していく、素晴らしいアイディアだと思います。
お弁当も作り置きというのが最近の流行のようですね。確かに、忙しい朝は作り置きしてあるおかずを詰めるだけ、もしくは温め直したり焼くなどの最終工程だけで仕上げるアイディアはなるほどなと感じます。
色もインスタ映えしそうな華やかなおかずでとっても美しい!見ているだけで楽しい気持ちになってきます。
そう、見ているだけならば。
私なんかはもうSNSもブログのみのものなのでいいけれど、これが生活のすべてをアップしている個人的なものであればリアルな知り合いも繋がっているわけで、その中で見栄えの良いお弁当を作り続けるというのは相当なプレッシャーなのでは?と思うのです。
私には無理。できない。苦しい。
これが本屋でお弁当本を見るとドキドキする理由です。
こんなきれいなお弁当、毎日なんて作れない(>_<)
もう何年もお弁当作りをしてるのに! もう何年も主婦してるのに!
正直、きれいなお弁当の本を見ると気持ちが落ち込みます。
激しい自己嫌悪に陥るのです。自分はダメな人間だなぁって。
でもね?と思うのです。
きれいなお弁当って必要だろうか?
そういうお弁当を作り続ける人が苦しいと感じるのであれば、「きれいなお弁当」という概念をいったん捨ててみてもいいのでは?と。負け惜しみですが(^_^;)
[adsense]
私のお弁当作りの強みってなんだろう、と無理矢理考えてみたことがあります。
もう無理矢理です。パッと考えても浮かんでこないので。
うんうん考えて、全然浮かばなくて、苦し紛れに出てきたものが、
「毎日続けていること」
でした。
正確に言えば毎日お弁当を作っているわけではありませんが、土日祝日を抜き長期休業中も「置き弁」としてお弁当を作っています。
2009年から始まったお弁当作りは9年になります。それ以前から夫にお弁当(残り物を入れたテキトー弁当ですが)を作っていた時代から考えると20年近く!
・・・その長いお弁当生活の中で上達したものは何一つないけれど。
主婦の中にはそれくらい作り続けている人はたくさんいるでしょうが、みんながみんなそんなに長い間お弁当を作り続けているわけではない。ということは、これが唯一私の強みなのではないのか?と。
そう考えると、美しいお弁当を作ることができるのも、長くお弁当を作り続けることができるのも、それぞれの個性なのかなと。
私にはきれいなお弁当を作ったり美味しそうにお弁当箱に詰めることはできないけれど、細く長く作り続けてくることはできました。繰り返しますが、残念ながらそこから何も得られてないけど(*´Д`)
4月からお弁当作りが始まる方はきっと多少なりとも不安があるかと思います。特にインスタや料理本できれいなお弁当を見て慣れている世代にとっては、毎日のお弁当作りを早くも苦痛に思っているかもしれません。
でもそれは個性だと割り切るしかないのかなと。これはお弁当作りだけの話ではないですね。全てにおいて、人と比べても何も得られないし、自分で自分を認めてあげるしかないし。
・・・とまぁ、自分に向けてつぶやいてみましたが(^_^;)
少なからず私と同じような気持ちで本屋のお弁当本コーナーを通り過ぎている方もいるかな~と思って。
まぁ大丈夫です ←何が
なんとかなります、きっと。うちもなんとかなってますから。地味弁だし盛り付け下手だしマンネリ弁当だけど、ちゃんと育ってくれてます(多分)。
私も今年がお弁当生活ラストイヤーです。あとになって「ああしてあげればよかった・こうしてあげればよかった」と後悔しないように頑張ります。続けることを、ですが(^_^;)
コメント